アース美容院のブログ

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縄文・弥生時代にも”トイレ”の意識はあったのでしょう!



日本にはいつからトイレがあったと思いますか?
トイレという意識はいつごろからあったのですかね?


トイレの始まりを探索してみることに・・・。


日本人がトイレ(便所)を使い始めた時期というのは
正確には分っていないようです。
しかし、トイレと思われる構造が多くの遺跡から見つかっているようです。
弥生時代になると、
下水道を使っていたかのような構造が遺跡から見つかっていますよ。
では、縄文時代ではどうだったのか?


縄文時代では、
川岸に張り出すように足場を作り、
そこで用を足していたと言われています。
遺跡では、
川底にのこった杭の先が確認でき、
その周りでは糞の化石が見つかっていることから、
“トイレに行く”という概念があったと考えられています。


縄文時代のトイレ(紀元前14000年ごろ~紀元前数世紀)⇒
日本のトイレの始まりは、縄文時代の始めごろと言われています。
川で直接用を足すもので、
川に用を足せば、
自然と川に生息する魚が排泄物を分解してくれます。
近くに川がない場合は、
野外で用を足し、
穴を掘って埋めていたようです。


福井県若狭町にある鳥浜貝塚では、
多量の糞の化石が出土しています。
この遺跡で生活していた当時の人々は、
湖に杭を打って桟橋を作り、
桟橋から用を足していたと考えられています。
河や湖に橋を架けて用を足す構造を
桟橋水洗式トイレ(後の「川屋」)と呼ばれています。


縄文時代の人でも、
用を足す環境は清潔にしようと
水辺を選んだのかもしれませんね。


弥生時代のトイレ(紀元前数世紀~紀元後3世紀中ごろ)では、
野外でする人がまだ多いものの、
汲み取り式のトイレがあらわれてきたようです。
溜まったものは、
汲み取られた後肥料として使われていたという説が有力みたいです。
下水道と似た構造が見つかる遺跡もみつかったため、
この頃から、
トイレのための機構が意識されるようになったと言われています。


滋賀県彦根市にある、
弥生時代から室町時代までの遺物が見つかる妙楽寺遺跡では、
町に水路が張られており、
屋敷の水路側にはトイレが配置されていました。
このことから、
屋敷の中や、
敷地の脇を通って汲み取りが行われていたと考えられています。


古事記(712年)と日本書紀(720年)に“厠”という言葉が記載されています。
この厠は川屋が語源となっているようです。
古事記や日本書紀では、
古墳時代(3世紀中頃~7世紀)の皇族が、
トイレに入った所を狙われたり、
出てきたところを捕らえられるといった例が記載されています。
トイレは
プライベート空間?として昔から
周りと隔離された空間として作られていたようです。


文化の進んでいたヨーロッパでは、
紀元前600年のローマ帝国の時代には
水流トイレが作られていたようです。
しかしその技術は
その後のヨーロッパに受け継がれませんでした。
なんと18世紀ごろまでヨーロッパの一般の家にはトイレが無く、
おまるを使用して用を足し、
おまるが一杯になると窓から投げ捨てるのが習慣だったようです。


人口過密状態と相まって都市部の道路は悪臭を漂わせていたとか・・?
ハイヒールや傘が必要性の産物とか・・・?


日本のトイレへの清潔の意識は、
ふるく縄文・弥生時代から続いていると考えると
感慨深いですね。


中国やアメリカからみても
日本のトイレは、
プライバシーが守られており、
他の人も利用する空間への気配りがされていると
絶賛されることはうなずけることです。


この日本人の美意識や心配りを維持して、
いつも綺麗なトイレを心がけたいものですね。


#ウッドラップ